「台湾って京都の次に日本の歴史が残っている場所かもしれないですよ」
これは台湾の台南市でビジネスをしている日本人男性から会食の席でポロッとこぼれた一言だった。
そして、この「何気ない一言」が台湾滞在中の私の頭で何度も復唱されるとは、この時は思ってもみなかった。
実は7月上旬、私は台湾市場のリサーチのため、約1週間かけて台湾の高雄市→台南市→台北市と周ってきた。
これまで台北しか訪れたことのなかったため、台湾の南部地方を見て回ったことで新たな発見がたくさんあった。
その中で印象的だったことのひとつが、台湾の人たちの「”歴史を残そう”とする意識」だ。
台湾のいろんな街を周っていると、日本統治時代だけでなく、様々な時代の「歴史あるもの」を残し、上手く活用している様子が見えてくる。
だからこそ冒頭の言葉が頭に残り続けたのだ。
では、なぜ台湾人は「歴史あるもの」を積極的に活用しているのだろうか?
その理由を探っていくと、台湾の「官民一体の政策」や「歴史と向き合う姿勢」などが深く関係していることが分かってきた。
今回はそれらの理由について、前後編に分けてお届けしていきたい。
台湾政府が描く「文化創意産業」とは
2002年5月、台湾政府は台湾の発展計画のひとつとして「ある産業」の確立を目指すことを掲げた。
その産業とは、「文化創意産業」である。
「文化創意産業」とは文字通り、「文化と創造性を結びつけた産業」と定義されている。
そして、台湾の人たちはこれを略して「文創」と呼んでいる。
ちなみに文創の対象となっている範囲は実に幅広く、音楽・ファッション・映画・テレビ・ラジオ・出版・広告・建築・デジタルコンテンツ・クリエイティブなどが含まれている。
そして台湾ではこれらをパワフルに組み合わせることで、商品開発やコンテンツづくり、ひいては街づくりや観光地づくりにまで発展させているのだ。
「文創」で甦った歴史的建造物の数々
「文創」の目標が発表されてから、各自治体ごとに「文化局」が設立され、具体的な施策が進められた。
下記に主な市政府の文化局のHPをピックアップしたので、興味のある方はぜひ見ていただきたい。
※もちろん日本語対応はしていないため、雰囲気だけ掴んでいただければと思う。
・臺北(台北)市政府文化局のHP
・臺中(台中)市政府文化局のHP
・臺南(台南)市政府文化局のHP
・高雄市政府文化局のHP
そして、各自治体の取り組みの成果として、今では台湾の各地に「文創○○」「○○文創」といったエリアや建物が数多くできている。
そのいくつかのスポットをご紹介しよう。
【台北】華山1914文化創意產業園區
華山1914文化創意產業園區は台北を代表する文創エリアのひとつで、日本統治時代の1914年に建てられた酒造工場をリノベーションして作られたエリアだ。
エリアの中にはカフェやレストラン、雑貨店や映画館などがあり、イベントも盛んに行われている。
連日たくさんの人が訪れる人気スポットとなっている。
【台北】松山文創園区
松山文創園区も日本統治時代に建てられた「タバコ工場」を再利用して作られた文創エリアで、その規模は6.6ヘクタールにも及ぶ。
ここにもたくさんのショップがあり、あの蔦屋書店がモデルにしたと言われている「誠品書店」が運営する「誠品生活」もある人気エリアだ。
【台北】四四南村
四四南村も日本統治時代の建物だ。
この建物はもともと旧日本陸軍が倉庫として使っていたが、第二次世界大戦後には軍人(国民革命軍)の住居として利用されていた。
1999年にこの地区の再開発計画が持ち上がり住民は立ち退くことになったものの、一方で「文化財としての価値」を主張する声もあったため、2003年に「歴史建築」として認定され、一部の建物が保護されることとなった。
現在はカフェと雑貨店があり、イベントも定期的に行われている。
【台中】綠光計畫范特喜文創聚落
台中は台湾の主要都市の中でもっとも勢いのある街だ。
事実、台中市は2017年に台湾の人口ランキングで高雄市を抜いて2位となったほどの成長ぶりだ。
※ちなみに1位は台北市のベッドタウンである新北市だ
日を追うごとに発展を遂げている台中市だが、その「急激な近代化」とのバランスを取ろうとするかのごとく盛り上がっているのが「綠光計畫范特喜文創聚落」を中心とする文創エリアだ。
最近は近隣に「審計新村」という新しいスポットも現れ、ますます盛り上がりを見せている。
【台南】藍晒圖文創園區
藍晒圖文創園區は台南にある2015年にオープンした比較的新しい文創エリアだ。
こちらも日本統治時代に建てられた建物を軍人が住居として利用していたもので、エリア内には30弱の様々なショップがある。
ちなみに藍晒圖文創園區の代名詞でもあるこの壁画アートは、もともと少し離れた「神農街」というエリアにあった有名なアート作品だったが、路上拡張工事の影響でこちらに移送され、保護されている。
【高雄】駁二芸術特区
駁二藝術特區は1973年に開業した港湾倉庫街をリノベーションし、2002年にアートスペースとしてオープンしたエリアだ。
広大なエリア内には様々なアート作品やショップなどが点在しており、ショッピングはもちろん、アート鑑賞や記念撮影も楽しむことができるようになっている。
「官」と「民」が同方向を見つめる台湾の力強さ
このように台湾では「歴史あるもの」を活用・再利用することが、すでに”ブーム”の域を越えて”文化”へと根付いている。
日本でも歴史的建造物を残す取り組みは行われているが、台湾にのような「官と民のダイナミックかつスピーディーな連携」までは至っていないように感じる。
台湾では政府が大々的に「文創」をのビジョンを掲げたことで、各市政府や民間の企業や個人もその波に乗って柔軟かつスピーディーな判断や行動をしやすい状態・空気感ができているのだ。
例えば台北市政府の支援体制を見ると、それがよく分かる。
歴史的建造物や古民家を再生・活用したくとも、民間人だけではどうしても越えられない壁がある。
その代表的な課題が「資金面の問題」だ。
その課題を解決するために台北市政府は「修復した建物の容積に応じて空中権を売買できる仕組み」を作り、それを活用することで売却金を修繕費用として補填できるようにしたのだ。
民間からすれば行政がこうした制度を積極的に用意してくれるのは心強いだろう。
これ以外にも台湾では「文創」を街づくりに活かしており、その詳細については雑誌「SOTOKOTO(ソトコト) 2017年12月号[台湾のまちづくり]」を読むと理解しやすいため、興味のある方はぜひ一読してみてほしい。
テーマは「台湾の街づくり」
もちろん「文創」にもまだまだ課題があり、その辺りも深く学べるようになっている一冊だ。
個人まで根付いた「文創」の思想
今では「文創」は台湾人の心に自然と根付いている。
事実、特定のエリアに限らず街を歩いていると、「歴史あるもの」を上手く活用している様子をよく目にするのだ。
ここではそのいくつかの例をご紹介したい。
飲食店
日本でも古民家カフェや古民家レストランが人気だが、それは台湾でも同様だ。
今回もっとも印象的だったのは高雄にある「書店喫茶 一二三亭(ヒフミテイ)」だ。
名前の時点でお気づきかもしれないが、この喫茶店も日本統治時代の建物を活用して作られたものだ。
店内に入ると台湾にいることを忘れてしまうほど、「古き日本」を感じられる雰囲気になっている。
この空間を楽しむ台湾人の姿を見ていると、彼らが京都をはじめとする「古き日本の町並み」を求める理由がよく分かる。
ショップ
こちらは台南にある「パリパリ・アパートメント」という若者に人気のスポットだ。
ちなみに名前の「パリパリ」は日本語が元になった台湾独自の言葉(台湾語)で、フランスの「パリ」から派生して「パリパリ = おしゃれ」という意味へと発展したそうだ。
ここでも日本の文化が少しだけ形を変えて残っている。
この建物は築50年以上の3階建てで、1Fは古道具屋、2Fはカフェ、3Fは宿泊施設として運営されている。
1Fの古道具店を覗いてみると、驚くほどたくさんの「古き日本のもの」が置かれていた。
これだけ充実した品揃えは日本でもなかなかお目にかかれないのではないだろうか。
民宿
現在台湾では古い建物を改装して「民宿」を運営するのがブームとなっている。
台湾人はもともと性格的に明るくて外交的で異文化に興味を持っている人が多いため、そこに「文創」が上手く加わったことでブームが加速しているように感じる。
今回私が高雄で滞在した台湾人夫婦が営む「同‧居 With Inn HosteL」もそのひとつで、台湾の古い建物を活かした素晴らしい宿泊施設だった。
日本の町家の宿も外国人観光客から非常に人気があるが、その土地に住む人達の「歴史を残し、伝えていきたい」という想いと、その土地へ訪れる人達の「歴史を感じたい」という想いは世界共通だということが分かる。
台湾人と「文創」の微妙な関係
これだけ盛り上がっている感のある「文創」だが、必ずしも台湾人が最初から文創に可能性を見出していたわけではなかったようだ。
これは「文創」が、台湾政府が発表した発展計画の中の「副題」だったことが、それを物語っているとも言える。
実際、当社の台湾人スタッフも「”文創”の価値に気づいたのはここ最近のこと」だと言う。
なぜ台湾人は15年以上もの歴史がある文創に価値を見出せなかったのだろうか?
その大きな理由として、台湾人が抱える「周りの国々に対するコンプレックス」が挙げられる。
例えば日本には世界に誇る歴史や伝統、文化があり、韓国には世界を席巻するポップカルチャーがある。
タイは世界でも有数のリゾート地になっており、シンガポールは金融においてアジアはもとより世界の中心となりつつある。
また、複雑な関係となっている中国は四千年の歴史に加えて、今や世界が注目する経済大国へと成長し、その勢いはとどまるところを知らない。
そんな国々を羨望の眼差しで見つめていた台湾人にとって、「文創」はあまりにも「地味なもの」だった。
それが台湾の豊かさにつながっていくイメージが持てなかったのである。
また、「歴史あるものを活かす」というのは日本の専売特許だとも感じていたため、「二番煎じ感」も否めなかったようだ。
「文創が盛り上がっていると言っても、それは台湾の中だけの話。決して世界に自慢できるようなものではない」
これが台湾人の認識だったようで、今でも多くの人はそう感じているようだ。
ところが、その台湾人の意識も少しずつ変わりはじめている。
文創政策が進むにつれて、少しずつ海外の人たちから「台湾、いいね」と評価される機会が増えてきたのだ。
また、日本でもBRUTUSをはじめとするカルチャー系雑誌が台湾特集を組んだり、先ほど紹介したソトコトが台湾の街づくりを特集したりしたことで、さらに「なんだ? なんだ?」という動揺が起きつつある。
台湾には私たち日本人が学べることがたくさんある
しかし、それはある意味で「必然」ではないかと思う。
台湾の文創を学ぶにつれて、「いま日本人が学ぶべきことがここにある」という想いが日に日に強くなっていった。
日本では高度経済成長の影響もあって、「古くても重要文化財以外は価値がない」と言わんばかりの勢いで古い建物は壊され、近代的な建物へと生まれ変わってしまった。
それはまるで「過去を忘れようとしている」ようにすら感じる。
そしてその結果、空き家や廃墟が増えたりと、時限爆弾のように様々な問題が積み重なってしまっている。
それでも新しい建物の計画は留まることを知らず、その歪みに誰もが違和感を感じながらも見て見ぬふりをしているのが今の日本なのではないだろうか。
だからこそ、日本は台湾から真摯に、そして積極的に学ぶべきだと感じたのだ。
台湾は官民一体となって「歴史あるものを残すこと」、それ自体に価値があると考えている。
そう考えていくと、台湾の「文創政策」が、さらに大きく花開く日がもう間もなくやって来る、と思わずにいられない。
私たち日本人も彼らを見習って「日本にある価値」について、ぜひ今一度考えていくことが大切だと感じた。
歴史だけはいくらお金を積んでも手に入れることはできないのだから。
そして後編では、もっと根底の「台湾人の歴史と向き合う姿勢」に焦点を当てて考えてみたいと思う。
台湾の歴史を見る上で、私たち日本人は切っても切れない関係で、良くも悪くも彼らに大きな影響を与え続けてきた。
その「台湾人の心」を知ることが、この「文創」をより深く理解することにも繋がっていくのだ。
<後編>へ続く
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