なぜ台湾人は「歴史あるもの」を活かすのが上手いのか? 歴史と正対するその姿勢に学ぶ<後編>

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前編では台湾が歴史的建造物などを上手く活用し、政府と民間が力を合わせて街づくりや観光地化へと発展させている「文創政策」についてご紹介した。

後編では、もう少し台湾人の琴線に触れていきたいと思う。

テーマはズバリ、「台湾の歴史」だ。

なぜ文創の理解を深めていく上で、台湾の歴史を知る必要があるのだろうか?

実はこれが大いにある。

それは文創というものが、限りなく「アート」の要素が強いからである。

そもそもアート作品が生まれる源泉が人間の心の内の「もやもや」だとすると、台湾人にとっての「台湾の歴史」とは「もやもや」以外の何者でもない。

そういう意味で、台湾の今を正しく理解するためにも、ぜひこの機会に台湾の歴史について一緒に学んでいただければと思う。

「私がどこから来たのか聞かないで」

台湾滞在の最終日、私は台北市にある台北當代藝術館を訪れた。

この写真は、そこでたまたま開催されていた個展で撮影したものだ。

写真では見えにくいが、人が写っている写真の中に以下の言葉が書かれている。

”不要問我從哪裡來 (英訳:Do not ask where I come from)”

これを日本語に訳すと、「私がどこから来たのか聞かないで」となる。

実はこの言葉の意味は、とても重く、せつない。

なぜ台湾人は「どこから来たの?」と聞かれたくないのだろうか。

まず私たち日本人の場合から考えてみよう。

もしも、あなたが海外の人から「どこから来たの?」と聞かれた時に何と答えるだろうか?

当然のように「日本から来ました」と答え、相手も「あぁ、日本人か」と返すのが一般的なやり取りだろう。

そして、その後の会話は自然と次のステップへと進んでいく。

それがごく自然な流れだ。

しかし、台湾人の場合は違う。

「台湾です」と答えただけでは不十分な場合が多いのだ。

「台湾って国なの?」「台湾って中国なの?」「台湾って……」

これらの質問に対して、誰もが納得できるような明確な答えというものは存在しない。

そのことを知らない相手から興味本位に投げかけられる質問に対して、自分なりの「答えらしきもの」を返さなければならない。

そんな現実に対して、台湾人は「お願いだから、もう、やめて……」という気持ちでいっぱいなのだ。

この個展では様々な作品を通して、そんな台湾人の重く切ない想いが訴えられていた。

外部の”都合”と”圧力”に振り回され続けてきた台湾人

台湾の歴史を丁寧に学びたい人は、ぜひ「台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)」を一読してほしい。

著書の伊藤潔(台湾名:劉明修)氏は日本統治下の台湾に生まれ、中華民国籍を経て、日本に帰化した人物だ。

2006年にこの世を去ってしまったが、本書や著者の価値が色褪せることはなく、むしろ昨今の台湾ブームも相まってその価値は高まる一方だと感じる。

本書の素晴らしい点は、様々なエビデンスをもとに「徹底的に中立的な視点」から、淡々と台湾の歴史が綴られているところにある。

「反○」「親○」といった思想がまったく感じられないのだ。

そのため、「日本は統治時代に台湾を近代化させたから親日の人が多いんだよね?」くらいの知識の人からすれば、その軽い気持ちを反省せざるを得ないような内容も多い。

当サイトは政治情報メディアではないため、ここでは私個人の政治的な思想や見解について述べることは差し控えるが、台湾がどうやって今の台湾へと流れ着いたのかを知ることが、深く台湾を理解する上でとても大切になってくる。

台湾の歴史の大枠を知るために、以下の台湾の年表を見てほしい。

台湾の歴史はこの複雑極まりない色合いで成り立っている。

詳細については本書を読んで学んでいただきたいが、本テーマに沿う形で台湾の歴史のポイントだけを書き出すと、以下のようにまとめられる。

●もともと台湾には漢族系の移住民と20近くの種族の先住民が暮らしていた
●オランダが領有するまで「台湾」という国家概念のようなものは存在しなかった
●明と国民党政権はいずれも中国での覇権争いに敗れた or 敗れることになる政権だった
●明も清も台湾に領土的価値を見出していなかった
●清は台湾を212年も統治したが、最初の約190年は台湾の経営に関して消極的だった
●イギリスやアメリカや日本が台湾に関心を強めたことで、清の台湾に対する見方も変わった
●清は日本に台湾を攻められる直前にフランスから「台湾の一時売却提案」を受けていた
●日本統治後に日本の官民の一部からは「台湾をフランスに売却すべし」という意見が出ていた
●日本統治時代に築いた台湾の富は国民党が瞬く間に食いつぶしてしまった

正直このポイントだけで台湾の歴史を語るにはあまりにも足りなさすぎるが、これだけを見ても分かることがある。

それは、

1. 台湾はいつの時代も「外部の都合」に振り回され続けてきたこと
2. 台湾はいつの時代も「外部の圧力」に抵抗し続けてきたこと
3. 自分たちで「台湾」を作り上げたことがないこと

の3つだ。

実際は一度だけ台湾が独立宣言をし、アジア最初の共和国となったことがあるが、その夢を打ち砕いたのは何を隠そう日本軍だった。

また、日本が台湾に攻め入ったことで、台湾住民の心の中に「自分たちは台湾人だ。台湾を守れ!」という感情が根付いたことも見逃してはいけない。

台湾は長い歴史において、「外部の都合」で争いに巻き込まれ、たくさんの尊い命が奪われた。

特に日本軍による進軍や第二次世界大戦後に台湾を統治した国民党政権下では多くの血が流れている。

歴史を見ても、台湾の近代化の要因に日本が影響していることは間違いないが、それは「台湾のために」という人道的な考えではなく、あくまでも当時の日本の軍事戦略の一環であり、植民地支配を正当化できる理由にはなり得ない。

確かに清や国民党による統治時代は日本統治時代と比べると目も当てられない部分も多いが、国民党による統治が始まった時に「犬(日本人)去りて豚(中国人)来たる」という言葉があったことを考えれば、日本人の存在が絶対的な善であったとは言えないことが分かるだろう。

そして、そんな歴史を歩んできた彼ら・彼女たちだからこそ、”不要問我從哪裡來 (私がどこから来たのか聞かないで)”と叫びたくなるのだ。

そういう視点で今台湾で盛り上がりを見せている「文創」によって生まれたエリアやアート、商品や作品を眺めていると、それらすべてが台湾人にとって「これが台湾なんだ!」という「存在証明」であったり、「存在確認」のための心の声のように感じられる。

台湾人は文創政策によって、ようやく心の中の「もやもや」を表現するチャンスを得たのかもしれない。

「光も影も含めて、伝える・残すべき歴史」と考える台湾人

日本人と違い、台湾人にとって「政治について考えること」は生活の一部となっている。

日常会話でも自然と政治の話が出てくるし、家族や友達と台湾の未来について意見交換する機会も多い。

そして台湾の未来を語る上で、台湾の過去を知ることはとても重要だ。

だからこそ歴史を学ぼうとする台湾人は多い。

しかし、誤解を恐れずに言えば台湾の歴史は「弱者の歴史」とも言える。

世界を見渡せば、「壊すこと」で過去を忘れようとする国もあるが、台湾の場合は違うようだ。

台湾人には歴史の光と影を知った上で、それらをすべて受け止め、後世に伝え残していこうという強く、そして優しい意志がある。

高雄で日本統治時代の街を守り続ける人々

前編で紹介した日本統治下の建物を活用した喫茶店の「書店喫茶 一二三亭(ヒフミテイ)」のすぐ近くにあるのが、「打狗文史再興會社」だ。

この建物はもともと日本人が経営していた「佐佐木商店」という会社が所有していた倉庫だった。

第二次世界大戦の終戦直前に佐佐木さんは亡くなってしまい、打狗文史再興會社で活動をしている女性の祖父母がこの建物を購入して住居として利用していたのだという。

また、実はこのエリアは米軍から爆撃を受けた地域でもある。

このエリアが米軍から爆撃を受けた時の様子(写真中央)

その爆撃がわずかながら届かなかったのが、このエリアなのだ。

しかし、2012年に台湾政府が都市の再開発計画を発表し、退去勧告を受けてしまう。

その時に女性は「ここは残すべき場所なんじゃないか?」と感じ、家にある古い物や資料、近隣の歴史を学んでいったそうだ。

その過程で彼女の直感は確信に変わる。

そして地元住民にも声をかけ、デモをしたり、政府と話し合いをして、このエリアの保存を訴えかけた。

その努力が実り、今では高雄の歴史を後世に伝える活動や他の同じような地域の歴史や文化を守る手伝いをしているという。

しかし、彼女の話を聞いていて、私は不思議に感じた。

本来、彼女にとってこの建物は「おじいちゃん、おばあちゃんが買った家」に過ぎないはずだ。

それが政府に対してデモまでしてこの家やエリアを守ろうとする想いの源泉は一体何なのだろう? と思ったのだ。

すると彼女は、「日本統治時代は良いこともたくさんあったし、悪いこともたくさんあった。でも、それがあったから今の台湾があるんです。だから、その事実を残し、伝え続けていかなくてはいけない。そう思ったんですよ」と話してくれた。

ここ以外でも台湾の「歴史ある街」を残すための活動をしている方の話も伺う機会があったが、彼ら・彼女たちはみな、「商売うんぬんではなく、台湾の歴史を残し、ありのままの事実を伝えていきたい」という強い想いを感じた。

日本人も今、「歴史との正対」が求められている

台湾人が歴史から目を背けずに正対するその姿勢を見ていると、「自分たちはどうだろうか?」と考えさせられる。

日本では(特に戦争の)歴史から目を背ける風潮や空気があり、さらには「善か、悪か」や「是か、非か」でしか論じられなくなっているように感じる。

確かに日本は加害者という立場でもあり、台湾はいつの時代も被害者だったため、歴史に向き合う姿勢に違いがあるのは当然だと思う。

しかし、少なくとも台湾人の多くは台湾の歴史を「善悪」や「是非」という視点だけで見ていない。

ニュートラルな心で歴史に正対した上で、「これから自分たちはどうすべきなのか?」を自問自答している。

この「答えのない問い」に対して、諦めることなく問い続ける力が今の台湾の魅力につながっているのだと思う。

そんな彼らの姿勢には、私たち日本人がお手本にすべき点がいくつもある。

その大切さが分かる一文が、日本を代表するグラフィックデザイナーの原研哉氏は、著書「デザインのデザイン」に記されている。

僕らは未来と過去の狭間に立っている。

創造的なものごとの端緒は社会全体が見つめているその視線の先ではなくて、むしろ社会を背後から見通すような視線の延長に発見できるのではないか。

先に未来はあるが、背後にも膨大な歴史が創造の資源として蓄積されている。

両者を還流する発想のダイナミズムをクリエイティブと呼ぶのだろう。

現在地から一生懸命未来を見据えようとしても、それは付け焼き刃だったり、誰かの受け売りなものでしかないかもしれない。

歴史と正対し、そこから未来を見据えようとするからこそ、日本の「あるべき姿」が見えてくるのではないだろうか。

「日本の歴史を学んで、日本の未来を見つめてみたら?」

台湾を知れば知るほど、彼らからこんなメッセージを投げかけられているように思えてならなかった。

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